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8 見回りの後

last update Petsa ng paglalathala: 2026-01-18 22:12:39

 ひと通り屋敷内を周っていると、二階でばたばたと動く音が響く。きっと私が使う部屋の用意をしてくれているんだろう。

 殿下は落ち着いただろうか。

 そう思い私は、殿下がいる居間に足を向けた。

 ヨウラン殿から受け取った資料を持ったままだが仕方ない。

 今、部屋に置いていったら女官に見られてしまうだろうから。

 居間の扉の前に立ち、私は戸を叩く。

 一度叩いただけで、中から殿下の落ち着いた声がした。

「どうぞ」

「失礼いたします」

 腹から声を出して言い、私は扉を開く。

 ふわっと漂う匂いに私は心臓が止まるかと思った。

 殿下の向かい側。長椅子に腰かけた黒い着物をまとった男性。

 皇帝陛下がそこにいた。

 いつの間に陛下はこちらにいらした?

 戸の前に見張りも何もいなかったのに。

 妙な汗が背中を流れていく感覚がある。

 私は扉を閉め、びしっと立ち言った。

「皇帝陛下がお出ましとは知らず、失礼いたしました」

 声を張る私に、陛下は答えた。

「構わぬ。俺は今、帰るところだからな」

 凛とした声が言い、陛下はゆっくりと立ち上がる。

 ほっとするような、でも寂しいような。そんな複雑な思いを抱えていると、陛下は言った。

「ツァロン。お前は皇帝になるのだから、ただの女官の死に囚われるな」

 冷たい声で言い放ち、陛下はこちらへと近づく。

 殿下は何も言わず、険しい顔で俯いていた。

 ただの女官、と言われればそうだろうな。女官はいくらでもいるし、変わりもいくらでもいるのだから。何せこの国は女性が多い。

 たかが女官が死んだことでいちいち悲しんでもいられない。と言うのは理解できるが。なんだか心に引っ掛かるものがあった。

 こちらにやってきた陛下は、ふっと笑い私へと目を向ける。

「今宵からここに住むそうだな」

「はっ。女官の件もありますし、内部犯の可能性がございますので」

 私の答えに、陛下は頷く。

「そうか。女官が何人死のうが構わぬが、皇太子の変わりはいないからな」

 その言葉に心臓を鷲掴みにされるような痛みを覚えるが、私は表情を変えず陛下のために扉を開ける。

「失礼するよ、ツァロン」

「……はい、陛下」

 淡々と答えた殿下は立ち上がり、深く頭を下げて陛下を見送る。

 どこに控えていたのか、あるく陛下の後ろを兵がついていく。

 その背中を私も頭を下げて見送り、玄関扉が開く音を聞いてから私は居間の扉をゆっくりと閉めた。

 そして、殿下の方へと目を向ける。

 彼はばさり、と音を立てて椅子に座り、深く息をつく。

 その表情は悲しげに歪んでいた。

 そんな顔を見ると心が痛む。

 けれど私の役目は殿下を癒すことじゃない。

 だから私は、殿下に近づき言った。

「女官に声をかけ、部屋を使えるように準備を頼んでまいりました」

「あぁ、うん。ありがとう、シュエファ」

 そう言い、彼は力なく笑う。

 私は彼の向かいに座る。そこにはまだ、陛下の匂いが残っていた。甘い、香の匂いが。それがこの部屋の優しい匂いの中では妙に異質に思えた。

「陛下はなぜここに」

「あぁ、うん。女官が殺されたことがお耳に入ったようで。それで」

 言いながら彼はまた俯いてしまう。

 お優しい殿下には、陛下の言葉が重く響いたのだろうな。

 女官はいくらでもいる。それは事実だ。

 けれど命はそんなに軽いものなのだろうか。

 私は国境で、敵国と戦ってきた。それは何故だ? 国を、国民の命を守るためだ。

 なのにその命が軽く扱われている様で、心が重くなる。

 けれど私は表情を変えず、膝に置いたヨウラン殿から受け取った資料をぎゅっと握りしめた。

 それに気がついたらしい殿下は、不思議そうな声をあげる。

「それは?」

「あぁ、ヨウラン殿からお預かりした資料です。前回の殺人の件。その時の詳しい報告書です」

 答えながら私は資料に目を落とす。

 背表紙を向けているので事件の名前などは見えない。

「あぁ、前の……彼女も病死にされて、今回も。せめて遺族と会わせてやりたかった」

 悔しげに殿下は言い、首を横に振る。

 仕方ないだろう。なにせ事件が起きたのは宮廷内。そこで殺人事件が起きましたなんて、公表できるわけがない。

 だから私は冷徹になって殿下に向かって言った。

「陛下の、ひいては皇帝一族の威厳に関わることです。同情心だけで国を統治できませんよ」

 そんな私の言葉を聞いて、殿下はびくっと震えて目を見開き、私を見やる。

 その目に哀しみと絶望の色が見え、心が痛む。けれど事実だ。統治者は時に冷酷にならなければならない。弱味を見せればすぐ足をもとをすくわれてしまうだろう。

 殿下は何も言わず、膝の上に置いた手を握りしめていた。

 

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